尚古堂の由来
[工藤宗兵衛家]

工藤家は当主で十二代目。初代は元禄の初めから宝暦十年まで、山形市八日町の街道筋に住み代々「惣兵衛」を襲名、藩出入りの袋物装身具等の見回り小間物商だったという。 五代惣兵衛の時、火災に遭って七日町に移り、六代目より「想兵衛」を襲名、この代に家運盛んで屋号を「石尾屋」と称し、元三日町の長源寺の梵鐘寄進の折、世話人の一人として尽力している。この六代目(初代想兵衛)夫妻は、常念寺の檀徒として格別の帰依信心が篤く、六代目夫婦(良詣院、良善院)のために常念寺三十五住持良信上人が工藤家墓地内の先祖代々の墓碑の右に並べ「当山三十五世良信建焉」と刻んで風格のある墓碑を建てられている。

九代目からどんな事情からか不明だが「小三郎」を襲名するようになり、二代目小三郎(月秀院)は幼時の朋友新海竹太郎氏が長じて彫刻家、帝室技芸員(現在の日本芸術院会員)となり、その知遇を得て東京上野竹の台「日本美術絵画協会」の東北支部を引き受け、家業の美術表装師の傍ら著名画伯の新作仲介を主とする美術品商も兼ねた。

月秀院の長男が一時三代を継いだが、自ら家業に不適として秋田に去り、末弟(幼名小七郎)が四代目小三郎を襲名、四代目小三郎は長男誕生の折、家運繁昌の六代目を偲び「想兵衛」に因んで「宗兵衛」と命名した。十二代目の当主宗兵衛は父祖伝来の家業を継がず、東大工学部に学び三井造船に入社、同社の専務のほか、関連会社の社長を歴任、昭和五十一年、藍緩褒章を受彰している。現会長が昭和十三年当家より独立し、現尚古堂を築きあげた。

[常念寺史(昭和五十八年九月一日発刊)より]
創業者 略歴
創業者 佐藤市太郎(平成18年5月没)
大正5年 1月4日佐藤小太郎・なかの長男として誕生
昭和6年山形市 工藤尚古堂(本家)に見習に入る
昭和13年独立~(尚古堂)佐藤表具師開業(尚古堂・本家ののれんを引継ぐ)
昭和43年(表具工)一級技能検定合格証明書 受証
職業訓練指導員免許証 受証、山形県表具師組合表彰状 受証
昭和45年 法定防火壁装工事登録証 受証
昭和54年山形県表具内装組合連合会(副会長)内装部部長に就任
山形県職業能力開発協会より技能検定補佐員を拝命
昭和56年(カーテン・ジュウタン)防災表示者認定証 受証
昭和59年全国表具経師内装組合より功績証 受証
昭和61年全国表具経師内装組合より功績証 受証
平成2年白鷹町商工会会長より表彰状 受証
(財)文化建造物保存技術協会より指定表具師を拝命
山形県旧県会議事堂保存修理工事表具工事、(壁紙貼り)施工
平成3年山形県表具内装組合連合会 会長に就任
山形県職業能力開発協会により技能検定員を拝命
山形県技能士会副会長に就任
平成5年社団法人全国技能士会連合会より感謝状受賞
平成7年2月山形県旧県庁舎保存修理工事施工
平成7年12月県知事表彰受賞
平成8年1月山形県表具内装連合会より感謝状受賞